地球の流れ
聖地インドを襲ったこの大洪水。
20日は、リシケーシはウッタランチャンル州、大洪水はウッタルカンド州だから大丈夫だろう「大丈夫、リシケーシは守られていますよ!」。それにしても異常気象は世界中に起きていますね。それこそ、わたしたちの欲望や無知の結果、地球が悲しんでいるのでしょう。
そんな話を成瀬貴良先生とも交わしていました。

ふと、『マハーバーラタ』に書かれていた、時代時代で事物の姿は変わってゆく、それぞれの時代に応じて諸物の姿は変わり、すべては縮小していく…とハヌマーン神さまがアルジュナ5兄弟のひとりビーマに語るシーンを思い出し、思わず綴ってみました。。。

「クリタ・ユガの時、ただひとつの真実の宗教のみが在り、みなが宗教的に完成された生活を暮(おく)っていた。だから宗教的儀式を行う必要もなかった。その故にクリタ(完全)と呼ばれたのだ。その時、神々、ダーナヴァ(神々の敵対者、アスラの類)、ガンダルヴァ、ヤクシャ、ラークシャサ、ナーガたちも存在しなかった。物の売買もなく、ヴェーダもなく、生きるためにあくせく働くことも要らず、必要なものは考えただけで手に入った。病もなく、諸々の感覚も衰えず、悪事、傲慢、偽善、不和、悪意、狡猾、恐怖、惨苦、妬み、貪欲も存在しなかった、それゆえ至上のブラフマーはいつもすべてのものの上にありバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4つのカーストは各自の特色をいかして共存していた。すべての人間は梵天ブラフマーのみ帰一し習慣も礼儀作法もブラフマーに帰一するためにあり、知識の目的、行為一切がブラフマーに照らし合わせて追求された。そして角カーストはそれぞれ平等の功徳をえた。各カーストの特質はあっても、ひとつのヴェーダ、ひとつの宗教だけで十分だったのだ。
 トレーター・ユガになると供犠が行われるようになった。徳は四分一減少し、白いナーラーヤナ(ヴィシュヌ神)は赤くなった。人々は真実を求め宗教に帰依したが、さまざまな儀式が考案されそれによって目的を達しようとし、供物がささげられるようになっていった。人々は苦行に励み、供犠を盛んに行った。
 ドヴァーパラ・ユガには徳は半減した。ヴィシュヌ神は黄色になり、ヴェーダは四つに分かれ、あるものはすべてのヴェーダ、あるものは三つ、あるものは二つのヴェーダしか学ばず、中にはリグ・ヴェーダをすら忘れてしまうようになった。人々のほとんどは欲望にふりまわされ、苦行と供物に耽った。人間の叡智が衰弱し。真理に専心するものは僅かになってしまった。疾病が蔓延し、情欲に溺れ、自然の厄介が振りかかった。人々は俗世の快楽、天界の至福を得ようという要望から供犠を行い、その冒涜(ぼうとく)的行為によって当然の如く退廃していったのだ。
 カリ・ユガには、ケーシャヴァ(ヴィシュヌ神)は真っ黒になった。ヴェーダ、慣例、徳、供犠、宗教的戒律は顧みられなくなり、洪水、旱魃、鼠、蝗(イナゴ)、鳥、王による災厄が増大し、病、無気力、苦痛、飢餓の恐怖が世界を支配し始めた。この時代が進むにつれ、人々の道義心は交配し、人間の徳性が減少すればするほど他の生物もすべて生来の資質を奪われ墜落していった。宗教的行事もこの時代になると逆効果を生みだすようになっていく。だが幾つものユガを生き抜く者として・・・・」

時代の流れ通り。そうしてその変化に合わせていく人と人の間のニンゲン、私たちなのでしょうね。

hari om tat sat

 

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